東京ドーム看板直撃弾の【原辰則二世】原俊介 現在は母校と同じタテジマ軍団で甲子園を目指す監督となっていた!

1995年ドラフト1位で巨人軍に入団した原俊介。強肩強打の捕手だったが、1軍正捕手の座を掴むことができず、2006年10月に戦力外通告を受けて退団しました。

1軍通算成績は68試合、打率.224、本塁打3本。背番号38(1996年~1999年)、62(2000年~2006年)

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1977年8月30日生まれ。神奈川県秦野市出身。高校は野球強豪の東海大学付属相模高等学校。高校野球では1995年のセンバツに出場。2回戦で観音寺中央に敗れています。2年に1度行われるアジアAAA野球選手権の第1回メンバーに選ばれ、福留孝介選手(阪神タイガース)らとともに優勝をしています。

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1995年のドラフトでは福留孝介選手の外れ1位で巨人軍に入団。当時、原辰則前監督と同姓で出身校も同じということで「原二世」などと呼ばれ注目を浴びました。

 

2軍では早くから強肩強打として打線の主軸を担っていましたが、捕手としての守備にライバルが多く、(1軍では村田真一さん、正捕手候補として村田喜則など)内野手や外野手での起用もありました。

その後も2000年のドラフト1位で入団した阿部慎之助の台頭により2軍生活が続きました。しかし、2003年に打撃力のある控え捕手として1軍に昇格しました。

昇格後の2003年の初ホームランは東京ドームの看板に直撃する大ホームランであった。

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その後、2軍では不動の4番として活躍をするが、捕手ではなく一塁手や三塁手としての起用が多くなり、1軍でも指名打者や内野手での起用がメインとなった。

2006年10月に球団より戦力外通告を受ける。その後のトライアウトに参加するが採用する球団がなく引退した。

 

引退後は早稲田大学人間科学部健康福祉学科に進学し教員免許パーソナルトレーナーの資格を取得。同時に後藤孝志さんと野球教室「東京ガッツ」で子供達に野球を教えていました。

その後、2016年4月に母校である東海大相模高校と同じ東海大学の付属である東海大学付属静岡翔洋高校野球部監督に就任しました。

今後は甲子園で東海大付属の縦縞のユニフォームで監督として出場して欲しいものです。

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